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『乙夜之書物』に見る明智光秀の告白

 『乙夜之書物』では、明智光秀は、謀反の企てを、重臣たちに、篠村八幡宮ではなく、亀山城で告げたとする。

 


【現代語訳】 明智光秀は謀反を企て、「6月1日に丹波国亀山城京都府亀岡市荒塚町)から出陣して、中国地方に向けて出陣する」とお触れを出して、軍勢を亀山城に集めた。
 この時、斎藤利三は、丹波国の居城・黒井城と亀山城の中間に位置する笹山城(兵庫県丹波篠山市北新町)にいて、6月1日の昼頃に亀山城へ向けて出発した。斎藤利三亀山城に着くまでの間、明智光秀は、斎藤利三を待ち焦がれ、「まだか、まだか」と言い続け、昼に斎藤利三が到着すると、明智光秀は、敷台(控えの間)まで迎えに行き、斎藤利三の手を掴んで奥へ入った。その他、侍大将が同伴していた。皆(斎藤利三や同伴してきた侍大将)を数奇屋(茶室)へ入れると、明智光秀は、上座にすわって、各々に向かって、しばらく目を閉じ、深呼吸をしてから、
「私は気が狂ったようだ」
と言うと、皆、(談笑をやめて)真顔になってた。その時、明智光秀
「謀反は…」
と口を開くと、斎藤利三は言葉を遮って、
「その言葉を、ただ今までよく引き延ばされたことよ。(その言葉をずっと待っていました。)私が先鋒を務めます」
と言った。同席していた諸将は、斎藤利三と同意見であった。

 

・原文はnoteに掲載中↓
https://note.com/sz2020/n/n877e987204af

『信長公記』に見る明智光秀の告白

 『どうする家康』の徳川家康は、織田信長を討とうと考えていることを重臣たちに隠していましたが、明智光秀も、6月1日の夜まで隠していたそうです。(「本能寺の変」は6月2日の早朝。)

 


 

【現代語訳】 6月1日、夜になって、丹波国の亀山にて、明智光秀は、謀反を企て、明智左馬助秀満、明智次右衛門光忠、藤田伝五行政、斎藤内蔵佐利三と談合し、「織田信長を討ち、天下の主となる」作戦を究め、「亀山から中国地方(山陽地方)へは「三草越え」をする。しかし、引き返して、東に向けて馬の首を並べ、大江山大枝ノ坂、老ノ坂)へ登り、山崎から摂津国の地を進軍する」と兵に伝え、先の談合の参加者に先手(先導)を命じた。
 6月1日、夜になって、大江山へ登り、「右へ行く道は山崎、天神馬場を経て、摂津国へ行く街道である。左へ下れば、京へ出る道である。ここを左へ下り、桂川を越える」。漸くすると、夜が明けた。既に、織田信長の宿泊所・本能寺を取り巻き、明智勢は5つの方向から乱入した。

 

※原文はnoteで。

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